社会変革の意欲と徳
井戸に落ちた子供を救おうとして飛び込み自らも命を落とした人(仁人)と、努力して監獄における囚人虐待を改善したジョン・ホワルドとを比べて、どちらも有徳者であることに変わりはないが、社会を変革したホワルドの方がその徳が社会全体、そして後世までも伝わる大きな影響をもたらした。これは智慧の働きであると述べて「私徳の功能は狭く智恵の働は広し」と書いている。
確かにそうでは在るが、ここで「意欲」という観点が抜けているように思う。まだ私の『文明論之概略』に読み方が足りないのかも知れないので、その点は今後さらに考えを巡らせたいが、「意欲」を「インセンティブ」と言い換えても良いが、福澤諭吉の出した例に沿って言えばホワルドの努力のもとになった意欲(インセンティブ)はなぜ生まれたのだろうか?
豊かに成長する国家と、そうでない国家との違いはどこから生じるのか?というテーマについて、ノーベル経済学賞を受賞したD. Acemogluは"Why Nations Fail"の中で、社会制度(institutions)の違いが大きな要因の一つであると述べている。国民に対して簒奪的な社会制度を持つ国では創意工夫をしてinnovationを起こそうというインセンティブが働かずに人は怠惰となり、逆に意見が自由に言えて事業を自由にスタートできる社会制度を持つ国ではそうしたインセンティブは高く活動も活発になると述べている。
社会制度は無形の文明の一つであるので、アセモグルの議論と福澤諭吉の議論とはどこかで繋がるはずだ。この観点から『文明論之概略』をもう少し読み込んでいきたい。
彼(か)の儒子を救わんとしたる仁人も「ジョン・ホワルド」も、その徳行の地金に就て見るときは軽重大小の別なしと雖ども、「ホワルド」はこの徳行に細工を施してその功能を盛大に為したるものなり。而してその細工を施したる者は即ち智恵の働なれば、「ホワルド」の為人(ひととなり)は之を評して唯徳行の君子とのみ云うべからず。智徳兼備して然(しか)もその聡明の智力は古今に絶したる人物と云うべし。若し、この人をして智力なからしめなば、一生の間、蠢爾(しゅんじ)として家に居り、一冊の聖経を読て命を終り、その徳義を以てよく妻子を化することを得るか、或はこれを得ざることもあるべし。何ぞこの大事業を企(くわだて)て欧羅巴(ヨーロッパ)全州の悪風俗を除くを得んや。故に云く、私徳の功能は狭く智恵の働は広し。徳義は智恵の働に従てその領分を弘めその光を発するものなり。
(福澤諭吉『文明論之概略』慶應義塾大学出版会 p.146)